社会の中で生きたい!
模索の日々を経て、一人暮らしへ。

パソコンに向かい編集作業を行う

大阪から帰って、とにかく何か行動しようと思っていた矢先に、パソコン教室の講師の話が降ってきました。友人に「パソコン教室ならできるかも」と話したことがあり、その友人が講師に推薦してくれたのです。それをきっかけに講演活動も増えていきました。しかしそんな中、病院の仲間たちの病気はどんどん進行し、「逢飛夢」のメンバーたちも次々と亡くなっていきました。私自身も20代中盤にさしかかって病気の進行による衰えを感じるようになっていき、「逢飛夢」の活動にも限界を感じるようになりました。

そんなとき、ある友人に「俺はどうしたらいいんだろう」と相談したところ、「自分の胸に素直に聞いてみたら?」と言われたのです。胸がズキッとしました。その言葉で「ああ、俺はもう理屈ではなく、社会の中で生きたいんだな」と気づかされたのです。力を試したいから地域に出たいとか、そういう理屈ではなく、ただ「地域で普通に暮らしたいんだ」と。それまで「病院は確かに制限はあるけれども、介護つきの家だと思えばいいじゃないか」と思っていました。けれどもそれは自分への言い訳に過ぎず、本当の自分の気持ちを隠して、気づかないふりをしていたのです。自分の気持ちにまっすぐに生きていたつもりだったのに、本当は困難があるとわかっていたから言い訳していたのだと気づき、ものすごく落ち込みました。

その頃、ライターをしている友人から、「書く仕事をしてみないか」と声がかかったのです。自分の書いた記事で博多駅の環境が変わったという例もあり、書く仕事はやりがいがあると思っていたので、フリーライターとして仕事を始めることにしました。地域社会で自立した生活を送るためにも、自分の仕事を確立しておきたいという思いもありました。 そうしているうちに、障がい者支援費制度が始まって、障がい者の地域生活が促進されることになり、その流れでとうとう一人暮らしを実現することになったのです。

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